東京都生まれ。1975年東京大学経済学部卒。日本長期信用銀行に女性初のエコノミストとして入社。長銀を退職後、スタンフォード大学でMBA取得。1982年ウォール街で日本人初の証券アナリストとしてペインウェバー・ミッチェルハッチンスに入社。1985年経営コンサルティング会社JSAに参加後、ベンチャーキャピタル投資やM&A、不動産開発などの業務を行い、現在にいたる。株式会社ジャングル 社外取締役。 著書に『超・格差社会アメリカの真実」(日経BP社)、『超一極集中社会アメリカの暴走』(新潮社) 他。
2019年02月05日公開
アメリカは一つの国とはいえ、大きいだけに猛烈な地域差があります。図10は2010年の国勢調査(Census)に基づいて、人種別人口分布を地図に表したものです。
青が白人で、大陸の東半分は基本的に白人主体です。アジア人を表す赤は、ボストン・ニューヨーク・ワシントンDC・シカゴなどの大都市近辺に集中しています。緑が黒人で南東部に集中しています。アメリカ開拓時代、欧州で既に確立されてた奴隷貿易を通して、プランテーションの労働力用にアフリカから買われてきた人達の子孫が中心です。
大陸の西半分は、コロラド州のデンバー近辺などごく一部を除いてガラガラです。州別人口密度が低いトップはアラスカですが、2位が中心部にあるワイオミング(WY)です。州の面積は25万 km2で人口は57万人なので、人口密度は1km2に2.3人。イエローストーン国立公園のような大自然を満喫するには絶好の場所です。但しそこで生活するには、都会人には縁遠い狩猟や伐採をはじめ、あらゆるDIYスキルやノウハウが必要です。子供の頃に「ララミー牧場」というアメリカのTVドラマを楽しんだ人も多いと思いますが、そのララミーはシャイアンとともに、ワイオミング州の南端にあります。
過疎地の中に、メキシコ系を表すオレンジ色が点在しています。アメリカン・インディアンが追いやられた不毛の地や、牧場・畜殺場・農場でなどで働く労働者が多い地域です。メキシコとの国境付近にも多く見られます。過疎地を過ぎて西海岸に到達すると再び人口密集地域になりますが、サンフランシスコとロサンゼルス近辺にはアジア人を表す赤が目立ちます。国土が広いとはいえ、住める地域は限られていますね。
図 10.アメリカの人口分布(2010年国勢調査、人種別。1点が1人。)
出典:University of Virginia Weldon Cooper Center for Public Service
https://demographics.virginia.edu/DotMap/
これだけ人口密度が違い、産業や人種が違ったら、文化も当然違ってきます。
図11は、図10を基にベイエリアを拡大した図です。但し点の色が違っていて、赤が白人、緑がアジア人、黒人が青で、メキシコ系がオレンジです。アジア人は中国人ばかりでなく、フィリピンや韓国で米軍に入隊し、米国籍を取得して移住してきた人や、ベトナム戦争時に逃げてきた難民も多数います。この地図を見ていると、環境がいい場所は今でも圧倒的に白人が多いことを実感します。
図 11.ベイエリアの人種別人口分布(2010年国勢調査)
Map of racial distribution in San Francisco Bay Area, 2010 U.S. Census.
Each dot is 25 people: White, Black, Asian Hispanic, or Other (yellow)
By Eric Fischer - Race and ethnicity 2010: San Francisco, Oakland, Berkeley, CC BY-SA 2.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=57276107
太平洋戦争の時期、サンフランシスコは太平洋艦隊のために軍需品を製造・供給する重要な拠点でした。軍艦・潜水艦・輸送船などがサンフランシスコ湾の奥深くで建造されて、戦後アメリカ軍をアメリカに帰国させるための船もここで建造されました。当時の軍隊は男性のみで、多くの男性が動員されましたから、軍需物資の製造には女性も駆り出され、それが女性を本格的に雇用するきっかけになりました。戦争は多くの国民を動員するので所得分配を平準化する、つまりいい思いをしている人達の経済的負担が大きくなるということですが、アメリカも例外ではありませんでした。但し、戦争が終わればまた元通り、というのが常です。
アメリカと聞けば黒人問題が頭に浮かびますが、黒人の人口は12%、混血を含めても14%に過ぎません。そして大半が南東部と、ラストベルトと呼ばれる旧い工業地帯に集中しています。それなのにベイエリアでは人口の6%と黒人の比率が比較的高く、ネバダなど周辺の州にはほとんどいないのに、ここにだけポツンと黒人が集中しています。なぜだろうと長い間不思議に思っていました。南部の奴隷が北部に逃げたり、奴隷解放後に食べていく手段が無くなった黒人達が、北部の工業地帯へ職を求めて移動した歴史は随所に出てきます。でも彼らがサンフランシスコへ集団で移動した話は耳にしたことも読んだことも無かったのです。
そんな疑問に答えてくれたのは、食料品や日用雑貨品を売る小さな店の年老いた店主でした。彼の話によると、太平洋戦争が始まった頃、サンフランシスコで労働力が不足しているということで、政府が南部で黒人を募集し、サンフランシスコまでの運賃を負担して、黒人労働者を送り込んだそうです。その時の賃金は高かったし、南部のような差別も無いという話だったので、多くの黒人が移動したそうです。
ところが戦争は2~3年で終結。軍需品の製造は終わり、徴兵されていた兵隊が戻り、黒人はまとめて失業してしまいました。でも政府は知らん顔。故郷へ戻る運賃も無く、やむを得ず住み続けることになったということでした。そんな話を聞いたのは初めてだったので詳しく話を聞いたのですが、2~3年の短期間のことだったし、当時を知る人はもう少ないし、ここに来る方が南部にいたよりよかったろうと言われるだけ。実際に来てよかった人は、自分も含めてかなりいる。今更言ってもどうにもならない話、ということで会話は終わりました。
今ベイエリアは不動産価格の高騰で、これまで価格の安かった地域でも、いわゆるgentrificationが猛烈に進んでいます。汚くて危険な地域がきれいになるのは快適です。80年代初頭には、近づいてはいけないと言われた地域でも、住宅価格が1億円を越えるようになりました。あの店主は小さいながらも住宅兼用の「商業家屋」を持っていましたから、それなりの価格で売って引退できたことでしょう。
<第1回>サンフランシスコの住宅価格
<第2回>サンフランシスコ・ベイエリア
<第3回>アメリカの人口分布
<最終回>プロフェッショナル 対 ネット・ブローカー 対 情報システム・ブローカー?