世界の不動産事情

小林 由美氏 

東京都生まれ。1975年東京大学経済学部卒。日本長期信用銀行に女性初のエコノミストとして入社。長銀を退職後、スタンフォード大学でMBA取得。1982年ウォール街で日本人初の証券アナリストとしてペインウェバー・ミッチェルハッチンスに入社。1985年経営コンサルティング会社JSAに参加後、ベンチャーキャピタル投資やM&A、不動産開発などの業務を行い、現在にいたる。株式会社ジャングル 社外取締役。 著書に『超・格差社会アメリカの真実」(日経BP社)、『超一極集中社会アメリカの暴走』(新潮社) 他。

小林 由美氏

2019年01月09日公開 

サンフランシスコ・ベイエリア(米国ベイエリアの不動産事情<第2回>)

サンフランシスコ・ベイエリアというのは、サンフランシスコ湾を囲む地域のことで、通常はサンフランシスコ市と、周辺8つのカウンティ(郡)を指します。面積は1万8千Km2で人口は780万人。因みに首都圏(関東地方+山梨県)は1万4千Km2で人口3,800万人ですから、首都圏よりも3割広い地域で、人口は1/5、つまり人口密度は15%弱といったところです。スペースにそれだけ余裕があるのに、どうして住宅価格はそれほど高いのだろうと不思議に思われる方も多いと思います。それを語り出すと長くなるので、いつかまた改めて。

図 4.サンフランシスコ・ベイエリア



ベイエリアの特殊性や革新性には、歴史的な背景が大きく影響しています。僅か150年間で跡形もない変貌を遂げた歴史、世界史を見渡しても稀な急成長を遂げた歴史が、ベイエリアの明るさやオプティミズム、革新性や自由な気風につながっていることは間違いないでしょう。僅か150年の歴史なので、ちょっとお付き合い下さい。

ベイエリアと言えばシリコンバレーが連想されます。シリコンバレーは、地理的にはサンタクララ・バレーのこと(図4、赤丸の地域)で、長さ50Km、幅20Km位の地域です。幅が20キロあると、いわゆる谷にしては広過ぎる気もしますが、地形で見れば2つの山稜に挟まれた谷です。


図 5.ベイエリア(黄色)とシリコンバレー(赤)の地形



白人によるこの地域の開拓は、1777年に現在のメキシコから北上してきた66人のスペイン人の入植で始まりました。彼らはカソリック宣教師のリーダーシップの下で、放牧を営んでいました。でも1848年に米墨戦争(=メキシコ戦争。当時メキシコは既にスペインから独立していた。)の結果、カリフォルニアはアメリカの領土になり、アメリカ人農民が大量に流入することになりました。

彼らはサンタクララの谷間だけでなく、北東側の丘陵Diablo Range(ディアブロ・レンジ)の大陸側、セントラル・バレーと呼ばれる肥沃な堆積土にも群がり、果樹園や野菜畑を開拓しました。そして20年後の1870年頃には、セントラル・バレーは世界でも屈指のフルーツ生産地に発展しました。(セントラル・バレーの面積は47,000 km2なので、日本の本州の20%強。セントラル・バレーは世界で最も生産性の高い農業地帯で、フルーツやナッツの生産は全米生産量の過半をしめています。)


図 6.セントラル・バレーの地形



そこまで発展する過程では、アメリカン・インディアンやメキシコ人原住民との間で、血で血を洗う激しい闘争がありました。先祖代々の土地から追い出されたり、奴隷のように扱われた原住民の悲惨な歴史は誰も語らないままに、サンタクララ・バレーのフルーツ王国は1960年頃まで続きました。

1960年代といえば、トランジスターの発明者の1人だったショックレーが、ベル研究所のあった東海岸から生まれ故郷に戻り、ショックレー研究所を開いて、半導体の製造を始めた時期です。そこからこの地域は世界の先端技術センターへと、急速に姿を変えていくことになりました。

他方サンフランシスコ半島の北端に位置するサンフランシスコ市は、地形図から明らかな通り、デコボコで岩や粘土質が多く、太平洋から流入する霧で夏も寒いので、農業に適した場所ではありません。だからサンフランシスコは、バレーとは異なる発展を遂げました。言うまでもなくゴールドラッシュです。

ゴールドラッシュ直前の1846年頃、サンフランシスコは漁に頼る人口200人程度の小さな開拓村でした。でも1848年に少し北の河川で砂金が発見されると、2年間で30万人を越すgold seekersが世界中から集まり、1849年のサンフランシスコの人口は2万5千人に膨張していました。惨めな漁村は瞬く間にあらゆる物資の一大集散地となり、屈指の港に変貌しました。


図 7.カリフォルニアの金鉱地域



それだけ人口が急増すれば、様々な産業が一斉に発達します。金は金融業の発達も促します。その上にカリフォルニアの金は、続いて起きた南北戦争(1861~65年)で北軍の貴重な軍資金になったので、カリフォルニアの政治的な発言力も一気に増大しました。

1850年頃といえば、日本では幕末期です。江戸は既に人口100万人前後の大都市でした。他方ベイエリアは、原住民が大地の恵みの中でのんびり暮らしていた地域でした。そこから僅か100年で、世界の技術センターに発展した地域です。その過程では、新しいことを考えて次々に挑戦し、実行していくアントロプラヌーリアルな(起業家精神に富んだ)活動とその果実の大きさを、地域全体が体験したはずです。それが地域の性格を作っていった延長線上に、今日のシリコンバレーがあります。

アメリカはメキシコ戦争で、メキシコの領土の1/3を獲得しました。現在のカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラド、そして少し前にメキシコから独立していたテキサスも併合して、ほぼ現在の国境が確定されました。カリフォルニアがアメリカの領土になった直後に金鉱が発見され、テキサスでは大油田が発見され、コロラドでも様々な鉱物資源が発見されて、アメリカの掘削産業は莫大な棚ぼたを手に入れました。今は形を変えて、PE (Private Equity) ファンドを筆頭に、既存事業から価値を掘削するだけの投資活動が活発ですが、その発想や精神は金や石油などの掘削事業とルーツが共通しているようです。


<第1回>サンフランシスコの住宅価格
<第2回>サンフランシスコ・ベイエリア
<第3回>アメリカの人口分布
<最終回>プロフェッショナル 対 ネット・ブローカー 対 情報システム・ブローカー?


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