全事例その他千葉県
No.4

豪雨から町を守る!
町会が挑む雨水管寄附の実話

第1章:はじめに -雨水管を知っていますか?

 突然ですが、あなたは普段、道路の下にどのような管が埋まっているかを考えたことがあるだろうか?

 水道管やガス管、下水管といったものが埋め込まれているのは一般的に知られているが、「雨水管」という存在については、あまり注目されていないかもしれない。雨水管は、文字通り雨水を排水するための管である。これがないと、特にゲリラ豪雨の際には道路が水浸しになり、街全体の生活環境が大きく損なわれるおそれがある。テレビニュースでマンホールから水が吹き出す映像を見ることも増えたが、あれはまさに雨水が処理しきれず、溢れてしまった瞬間である。

 ここでお伝えするのは、千葉県船橋市にある町会が、所有する雨水管を市へ寄附したときの話である。

第2章:町会が雨水管を所有する理由

 そもそも、「なぜ町会が雨水管を所有しているのか?」と疑問に思われる方も多いだろう。通常、こうしたインフラ設備は市や県が所有・管理していることが一般的である。しかし、千葉県船橋市のこの町会では、事情が少し異なる。実は、この地域には過去に特別な経緯があり、その結果として町会が雨水管を所有することになったのだ。この章では、その背景にある物語と町会が抱える課題について触れていく。

 時代は昭和38年。この地域にはまだ排水施設が整備されておらず、雨が降るたびに道路はぬかるみ、道行く人は長靴を履いて通勤するのが日常だった。最寄り駅には、泥で汚れた長靴や靴を履き替えるための下駄箱が設置されていたと聞く。これだけでも当時の生活がいかに不便であったかがわかる。

 その後、昭和40年頃から、この地域でも日本住宅公団による大規模な地区開発が進み始めた。しかし、住宅地が増える一方で、この地域の排水施設が整備される見込みは立っていなかった。このままでは、雨が降るたびに町中が水浸しになり、住環境が悪化することは明らかだった。ここで立ち上がったのが、町会を率いる有志たち、そして私が現在勤める不動産会社の先代社長であった。のちに、千葉県宅地建物取引業協会の名誉会長を務め、瑞宝章・黄綬褒章を授与された人物である。

 社長は、地域社会に強い責任感と愛情を持っていた。社長は、地域の先覚者たちとともに地域の排水組合を設立するための準備会(のちに排水組合となり、現在は町会が引き継いでいる)を立ち上げ、船橋市や日本住宅公団と交渉を重ねた。公団は地区開発を進める立場であったが、排水処理施設の設置に必要な資金の一部は地元が負担すべきと主張した。協議は難航したが、最終的に船橋市の仲介によって公団・船橋市・そして地元が資金を出し合い排水処理施設を設置するということで合意に至った。こうして、町会は雨水管を所有することになったのである。

 こうした地域ぐるみの取組みは、当時としては非常に先進的なものだった。他の地域ではこのようなケースは珍しく、地域住民が排水施設を一部でも所有・管理するという発想自体が革新的だった。しかし、この決断によって、地域住民は生活環境を大きく改善することができ、結果的に町全体の生活の質が向上した。

 ただ、ここで一つ問題が残った。「長期的な所有と管理をどうするか」である。「設備が整ったらそれで終わり」というわけではない。雨水管を維持し、将来にわたって管理する必要がある。町会のメンバーの中には、「この設備をいつか船橋市に寄附するべきだ」と考える者もいたが、当時はまだその方法が確立しておらず、設備の管理方法についても手探りの状態だった。

 その後、町会では「受益者負担金」の概念を導入し、将来の維持管理費用を少しずつ積み立てることにした。受益者負担金とは、ざっくり言うとこんな感じである。ある人が雨水管を造った。後になって、「その雨水管を使いたい。」と言ってきた人がいた。この時、最初に雨水管を造った人は何と言うだろう。おそらく、「俺がお金を出して造ったのだから、もし使いたいならお前さんもお金を出しなさい。」と言うだろう。そう、この時出してもらうお金が「受益者負担金」。後からこの雨水管を利用する人にも一定の負担を求め、雨水管の維持管理費を蓄える仕組みである。町会はこうした先を見越した取組みを通じ、将来的な課題に備えた。しかし、実際に船橋市へ寄附を試みるにはさらなる資金が必要だった。そのため、一度は寄附を断念した経緯もある。

 さらに年月が経った。住民は世代交代し、新たなマンションが建設されるなどして人口も増え、資金も少しずつ蓄積された。しかし、どれだけ積み立てても、豪雨などの自然災害により設備が大きく損傷した場合、その修繕にかかる費用は莫大であり、それをすべて町会が負担するというのは非常に困難と思われた。町会の役員も高齢化し、管理や修繕の重荷も年々増すばかりであった。

 このように、町会が雨水管を所有することは地域に大きなメリットをもたらした一方で、管理負担が大きいというデメリットももたらした。設備の劣化や異常気象によるリスクも増加し、町会がこのまま雨水管を維持し続けることは難しくなっていると思われた。

 そんな中、2011年の東日本大震災が起こった。この震災が町会に大きな影響を及ぼした。もしも町会の雨水管が壊れてしまったら…。現実的な危機感が一気に高まった瞬間だった。震災以降、町会内の議論は活発化し、雨水管の寄附に向けた本格的な取組みが始まった。